小学生の不登校 〜共働きから専業主婦へ〜

学校、勉強嫌いな娘と世間からズレつつも調和を試みる母の記録。

社員からパートへ、保健室登校

登校渋りと保健室登校

朝学校へ送って行っても、教室の前で行きたくないとグズついて中々教室に入れなかった。先生にもう一つ椅子を用意してもらって、一緒に授業を受けたり。保健室で受け入れてもらったり。本人の落としどころを探り時間をかけて説得していた。その度、職場へ連絡し謝り続けた。そんな日が続き、1時間目だけは一緒に受けられるよう出勤時間を後ろ倒しに調整してもらった。上司も同僚も、娘と私を心配し、嫌な顔ひとつせず応援してくれた。

 

学校プラス学童。母親と離れる時に彼女が想像するのは長い1日。余計に行き渋る原因かも知れないと思い、学童に行かなくてもいいよう調整した。

 

でも彼女の行き渋りに変化なし。こんな時保健室の先生から提案があった。

 

情緒が乱れるのは朝だけで、お母さんと離れてしまえば落ち着いているし、2時間目からは教室に行けている。その後も様子を見に行っているけどクラスの中で、楽しそうにしている。朝、強制的にでも保健室で預かりましょうか。という事だった。保育所スタイルだ。

 

確かにお迎えを条件に教室へ入った時、仕事を調整し迎えに行くとクラスメイトや先生と楽しそうに戯れている。

 

働き続ける事とその代償 

本人が納得して前へ進む事が大切だと思っていたから抵抗があったけど、私もいい加減職場に迷惑をかけていたし、学校の中の様子は分からない。

今まで見る事の無かった、学校での同級生の様子を見ると「ママがいい!」と行き渋る娘が幼く見えて、私が甘やかし過ぎたのかと不安にもなっていた。

母子分離不安だろうと言われ、子どもをよく知る先生の言う事だし、長い長い送り出しを続けて行く事も難しかったからお願いする事にした。

 

毎日では無かったけど、泣きながら保健室に入って行く娘を見て胸が締め付けられる思いだった。

そろそろ退職の時期

 この頃、溜まっていた有給も無くなり、娘の帰宅時間に合わせて帰れるよう社員からパートへ変えてもらった。

 

大好きな仕事だった。上司や同期に恵まれ、かわいい後輩達が育っていく姿にやり甲斐を感じていた。今まで子育てしながら必死にしがみついてきた、離れる事に何ともいえない感じがした。

 

保健室への強制登校、私の甘やかしかも知れない疑念も吹っ切りたかった。仕事でも何でもまずは3ヶ月とよく聞くし、ひとまず年内と心を鬼にして約3か月継続した。朝の行き渋りに変化なし、夜の「明日学校イヤだ」のぼやきは酷くなる一方。旅行に行っててもぼやく。土曜の夜から月曜の朝を心配してぼやく。家でも癇癪を起こすなど明らかに成果が見えなかった。この方法は辞めよう。

 

始めて専門機関に相談に行った。

スクールカウンセラーとの面談もお願いした。

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カウンセラーに関する記事はこちら ↓

momo765.hatenablog.com