不登校日記① 小1、登校渋りからの回復、再登校まで
はじめての登校渋り その原因は?
小1、夏休み明け、登校渋り開始
学校、行きたくない!
「隣の席になった男の子がけってくる。」
だけど、どうも話を聞いているとそれだけでは無さそうな。
学校生活全体に疲れている気がした。
友人と登校できなかった日は送って行ったが、学校・クラスに入るには毎朝一苦労だった。下の子(1歳)の保育所送迎もあった、仕事に遅刻しそうになり心穏やかでなかった。
たくさん、ひどい事を言ってしまった、追い込む真似をした。
担任との話し合い
早いタイミングで席替えをしてくれた。
家ではマイペース過ぎる子。学校で周囲のペースに遅れてないか聞いた。
全くその気配は無いとの事。本人がものすごく頑張っているのかも知れません。
家で出来るだけ甘えさせてあげて下さいと言われた。
家でいつもいい子は、外で意外と悪いことをするし、家で悪い子は、外では案外いい子だったりする。子どももバランスをとっています。ずっといい子ではいられませんと言っていた。
長かったひとりっ子暮らしが終わり、育休明けの復職が小学校入学と同じタイミングだった。確かに、バタバタ生活のしわ寄せが長女にかかっていたかもしれないと反省した。
家でリラックスできるよう努めた。
そして、いっぱい抱きしめた。
朝のルーティンからの変化
この頃から朝の準備を、着替えから何から出来るだけ手伝い、幼なじみ達との登校に間に合う様にした。最初はクラス前でグズついていたが、以前に比べるとマシだった。
2学期末には門までの見送りで登校できるようになった。
3学期は準備を含め自力通学を再開した。
小1、3学期の懇談で、先生と原因について話した。
私は、学校の形自体についていけていない気がしますと伝えた。
保育所の頃はいつも先生が間に入って全体を見てくれていたけど、子ども同士の関わりが増え、自分が主体的に動かなければならない環境についていけていない気がしますと。私も同感ですと言われた。
それと、もう一つ。娘が休み時間の雑談中、お母さんも間違ってる事するよ、学童へ行くのにお弁当作れなかったから、今日は昼で帰ってきてと言ってた。みたいな話をしていたと。
これ位の年の子は、お母さんが絶対的存在の子が殆どなんですけどね。
2年生、3年生と続くタイプかも知れませんと言われた。
私も中学で不登校を経験。高校は通信制に通った。レールの上は進めなかった。自分が納得できないと続けられなかった。
なんとなく、腑に落ちた。
3歳以降、朝の送りはずっと父親だった。育休中、年長になっているにも関わらず朝、登所渋ることに違和感をもてなかった。
3歳児の懇談の話を思い出した。特に心配してなかったけど、何か1つくらいと思い聞いた事がある。
幼稚園(家の隣)では子ども達が毎朝整列して朝の体操をしてるし、教室では椅子に並んで座って活動をしてるけど、保育所はフリーな空間が多そうに見える。マイペースな娘はのびのびしっぱなしになってしまわないかちょっと心配だと。
今から思うと、保育所だったから通えたのかもな知れないなと思った。
赤ちゃんの頃は生後3ヶ月から人見知りをした。父親でもワンワン泣いてた。
振り返ると、神経質で頑固。ゆる〜いのが好き。ずっとそういうタイプだった。
私とそっくりやないかい!
気質もあるかも知れないけど、、、
私は、私のせいだと思った。
初めての育児で神経質だった。
悩める体質の母は、いつも不安だった。
仕事との両立で、いっぱいいっぱいだった。
モメないように、バタつかないように先手をうった。
失敗する事に付き合う余裕がなく、体調をくずされても困る。先々口うるさかった部分もあった。
私の実母は共依存傾向、こだわり強め。私が小さい頃、鬱で入院していた事もある。母の様にはなりたくない。育児書もたくさん読んだ。" アドラー心理学、嫌われる勇気 " も熟読した。
ちきしょーーー!
でも、それでも、一生懸命やってきたんじゃーーーーい!
周りを見ると、子育てはみんな色々。アホか!あんたが決めたんでしょ!とサバサバした家庭も勿論あるが、うちより過干渉、過保護な家庭もある。心配性でせっかちで待てないお母さんも沢山いる。
結局、原因は全てかも。
色々なことがうまーい具合に重なって今があるのかも。
次の登校渋りは小2、夏休み明け。
やっぱり来ました、○○先生。どうして今年度が転勤の年なのだーーー(T_T)
母と娘、これからどう立ち向かっていくか、不登校日記の始まり、始まり~
〜つづく〜
不登校の経過を時系列に並べたくて、カテゴリー/不登校日記はじめました。
よかったら、のぞいてみて下さい。
原因は私だと言っておきながらですが...
不登校日記 ② 小2夏休み明け、登校しぶり再び
学校に行かない日々、迷いに迷った家で過ごし方