小学生の不登校 〜共働きから専業主婦へ〜

学校、勉強嫌いな娘と世間からズレつつも調和を試みる母の記録。

不登校日記② 小2夏、保健室登校

小2、登校渋り再び始まる


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 小2、1学期ペースは良好

小1、3学期から戻ってきたペース。

2年生にあがり、担任は子ども達に人気のおじいちゃん先生。クラスには学年の問題児(勿論うちも含め)、やんちゃから登校渋り班まで多数組み込まれた印象だった。
学童も復活した。けん玉検定を楽しみにしていた。

私は相変わらず必死だったけど、今から思うと平穏だった。

夏休み、学童には行きたくないと言う。そりゃそうだ。みんな言ってる。仲良しの子と通える環境だったけど、学童のクラスは別だった。幼なじみは、皆お家っ子。
私の平日休みに加え、時々おばあちゃんにも協力してもらって、週に3~4日くらいのペースで通った。

 

行き渋り ~母子登校、授業参加~

夏休み明け、行きたくないと言うようになった。教室へ送っていくも、中へ入れなかった。担任が椅子を用意してくれ朝の会や1時間目だけ参加した。仕事に行かねばならなかった。

段々登校渋りは強くなり、教室への足は遠のいた。保健室を訪ねると先生は笑顔で迎え入れてくれた。最初は離れたくないとしがみついていたけど、保健室の先生がこんな言葉をかけてくれた。
「保健室の先生は学校でのお母さんだから、困ったことがあったら先生達に言ったらいいんやで」
ありがたい言葉だった。娘の表情が一瞬で和らいで、保健室にはすっと入るようになった。
学期はじめで身体測定がちょくちょくあったけど、それ以外の日は保健室で積極的に受入れてくれた。

 

しかーし!そんな日も長くは続かなかった。(涙)

 

保健室登校 ~母子分離不安?~

朝は保健室へ付き添い登校。2時間目、3時間目あたりでクラスの様子を見に行く。クラスに入る。というルーティンだった。母親と離れてしまえばスイッチがパチっと切り替わるし、クラスに入ってしまえば楽しそうにしている。先生達は、母子分離不安、朝だけの問題だろうと言っていた。
1日の負担を軽くするため、私も一旦パートになって、学童は休むことにした。

2学期に入り、音楽会の鍵盤ハーモニカ、九九の暗記、運動会、その後はマラソン大会の練習が始まっていた。九九の暗記は1つの段が10秒で言えるようにというテストがあった。
スピーディは苦手、二重課題は苦手、走るのも苦手。
娘にとってはハードな課題が重なっていた。
担任も協力してくれた。冗談を言って気持ちをほぐそうとしてくれた。マラソン大会嫌なら出なくていいとも言ってくれた。ただ言葉の節々で甘え過ぎだと言っているような印象を受けた。「先生もお母さんも、そんな無理は言っていないよ」と言っていた。

そんなこんなで、娘は結局「どうせ保健室に行っても、教室に行かされるから嫌だ」と保健室にも入らなくなってしまった。

ガーーーーーーーーン!!


今から思えば、この時もっと学校に協力をお願いしないといけなかったんだよな。
課題の難易度を下げたり、保健室にいる時間を長くしてもらう事など、もっと積極的にお願いしないといけなかった。
保健室の先生にも仕事があるし、先生達も無理だから、そうしてるんだろう。と遠慮して言えなかった。私が甘やかしてきてしまったら、こんな風になってるのかも知れない。それをこの人達に無理言って、どうにか尻拭いをして欲しいとお願いするのは筋違いだと思った。

 

苦渋の決断

毎朝仕事に遅刻しそうになりながら必死に娘を送る私を見て、保健室の先生も同情してくれたのか、お母さんが良ければ、保健室で無理やりにでも毎朝預かりますよ。と提案があった。小さい頃の保育所スタイル。

同じく登校渋る子を持つ近所の仲良しお母さんにはこんな言葉もいただいた。お姉ちゃんの方は低学年の間、泣き泣き通っていたけど、今は6年生、元気に通っている。スパッと親が無理なものは無理と示してあげる方がいいと周囲に散々言われたと言っていた。私もいっぱい泣いたから、気持ちがめっちゃ伝わってきて黙っていられなかった。と暖かい言葉だった。

そうだな、一度やってみよう。
いい加減、職場にも遅刻、遅刻で迷惑をかけまくっていたし、今まで甘やかしてきた自負もあった。
今が勝負、これでダメならあとは堂々と胸を張って、この子はちゃんと戦っていると言えると思った。

ママー!と叫びながらも連れて行かれる娘を見た時は、涙が出た。もう辞めたい。と心の底から思った。家での癇癪もひどくなった。

でも朝は嫌だ!と散々で別れ、どんよりした気持ちで半日過ごし、パートから急いで戻るも明るい顔の娘を見ることも多くあった。クラスの友達と約束して家でゲームをしたり、児童館や学校で待ち合わせをして遊んでいた。

ここが踏ん張り時なのかも知れないとも思った。

ただやっぱり夜になると行きたくないと念仏を唱えるし、その念仏は翌日休みの金曜、土曜の夜でさえ、週明けを案じ唱えられる様になった。

突き放すために、いっぱいひどい事も言った。
「このまんまじゃ、お母さんと暮らせないよ。お母さんの子育てでちゃんと出来ないなら、どこかきちんと育ててもらえる人の所で預かってもらわないといけなくなるよ。」
土曜、私が仕事に行くのも不安がるようになり、これはマズイと、これだけは封印した。

約3ヶ月、仕事でも何でもまずは3ヶ月。
そう思って続けてきたけど、朝の登校渋りに変化なし。

 

もう十分。いや十二分、頑張った。

やっと12月。十分続けた。もう辞めよう。
たまたま近所の内科先生が息子が自閉症で通っているというカウンセリングセンターを紹介してくれた。高級だったけど、信頼できる先生の紹介。お願いする事にした。

その頃、担任からも専門機関への相談を提案された。

 

〜つづく〜

不登校の経過を時系列に並べたくて、カテゴリー/不登校日記はじめました。

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保健室登校について ↓

振り返る子育て、子どもに何を伝えてきたんだろう

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